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- 上野村(中世)とは
「上野村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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上野村(中世) 戦国期に見える村名越前国丹生北郡織田荘のうち享禄元年11月28日の剣大明神寺社領納米銭注文(剣神社文書)に「上野日御供」「上野御大工」と見える天文2年7月13日の織田寺玉蔵坊領納帳写(北野七左衛門家文書)では玉蔵坊領のうち代方納分として「上野名分」と見え,永禄元年5月11日の織田寺役者中裁許状によると,同玉蔵坊領田畠などは朝倉孝景によって召上げられ剣神社に寄進されたが同地の内徳分米3石と代300文は剣神社が玉蔵房へ下行することとなり,このうち100文が「上野名役」となっている当時は織田荘内の名の1つであったものと推定されるが,天正5年4月8日の剣大明神領打渡目録(剣神社文書)では,織田荘内南料所本所分を打渡された9か村の1つとして「上野村」と見える現在の剣神社の南,織田町織田字北上野・南上野に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 南北朝期から見える村名北寒河江【きたさがえ】荘のうち慈恩寺領延元2年3月2日付の盛俊田在家宛行状(宝林坊文書/県史15上)に「上野村之内河原先達之跡田在家」を銭4貫文で作人孫七に売却したとあるのが初見また正平9年11月7日付の某書下(同前)によれば,上野村百姓は秋酒などの課役を免除されている暦応4年12月10日付の某田在家宛行状や延文2年12月20日付の孫七入道奴賢田地売券・五郎太郎入道田在家坪付状(同前)によると,上野村内に五郎太郎入道名田在家があり,坪付状ではこの田在家は3,500苅であった至徳元年3月5日付の庄主都管全用年貢免許状(同前)によると「上野孫七入道在本年貢」の内3貫文が不作によって免除されている村山地方,現在の寒河江市大字白岩字上野を中心とするあたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 室町期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 南北朝期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 戦国期に見える村名越前国今南東郡池田荘水海のうち水海の小村として水海川流域に立地文明13年2月22日に「池田下庄水海上ノ村之住人めうれん」が畠1所を「うわの村」の道場に寄進している(鵜甘神社原神主家文書)水海内の他の村の例から考えて,この道場を中心とした人々の結合を村と称していたものであろうか慶長5年9月の左衛門二郎田地請取状にも「上野村」とあって村として存続していたが(同前),近世では水海内の他の村とともに水海村のうちに含まれ,独立した村とはならなかった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 鎌倉期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上野村(中世) 南北朝期に見える村名常陸国那珂東郡のうち康安2年正月7日の佐竹義篤譲状写に「小田御々分」として「那珂東上野村」と見える(大山義次文書/家蔵文書)比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」